日本人はなぜ外国語が苦手なのか?

日記

 

先月末くらいに日経に有った記事

 

「姑息(こそく)」を「ひきょうな」の意味で使う人が73.9%に上ることが30日、文化庁国語に関する世論調査で明らかになった。本来の意味とされる「一時しのぎ」と答えたのは17.4%だった。もともと「惜しいと思うものを手放す」という意味の「割愛する」は65.3%が「不必要なものを切り捨てる」と捉えていた。

 

ぼくはこの手のネタが出る度

奇妙な違和感をおぼえる

 

日本人は外国語を話すのが苦手だ

学校であれだけ授業を受けたのに

もかかわらずだ

 

日本人の場合

 

外国語が出来るというのは

いわゆるペラペラな状態らしい

 

一方ぼくが過去に関わった外国人

はほぼ間違いなく日本語出来る?

といっていた記憶がある

 

ぺらぺらでなくありがとうや

こんにちはとか寿司とか天ぷら

 

そんな一言出来るだけの人は

少なくない

 

要するに出来るという概念でいうと

それは間違っていなくそういう

スタンスでいいのだとぼくは思う

 

なぜなら言葉は学問ではなく

人間関係を円滑に進めるうえでの

ツール以上のものはないから

 

意思疎通をするには表情や

ボディランゲージでもOK

 

相手が聞く耳を持っていれば

多少怪しげな文法だろうが単語

の羅列であろうが伝わる

 

今はわからないがアメリカでは

結構多くの人が文盲だったりする

 

意思疎通は出来るが読み書きが

出来ないという人だが察するに

文法などは滅茶滅茶の可能性は

否定できないと思う

 

ネイティブでさえそうなのだから

外国人が完璧に話す必要もない

 

またこういう概念があるから

正しい日本語ネタが出るような

気がしてならない

 

現代人のぼくらが何とかで候とか

言わないし「です・ます」も方言

を出さないために使われたなんて

話もあったりする

 

言葉は生き物でその時代時代で

変化して当然であるしどれが正しい

日本語かというより多くの人が

認識している意味が正解となる

 

言語学を学んでいるわけでもなく

所詮はコミュニケーションツール

 

ネイティブだってZ世代とぼくらは

使っている言葉の意味も違うし

この記事のように意味も間違っている

 

そんなに気負わずに変化に合わせ

柔軟に頭を切替えることで本来の

意味と違うとか問題はあっさり

クリア出来そうだけどね

 

こういう駄記事が出る度頭のお固い

化石人がブルシットこいてるなと

ぼくは小ばかにしてしまう

最近のくだらない喧嘩 | 九州の田舎でのんびり子育て

 

こんな事ばかり気にしている人

は外国人とコミュニケーション

をとるのにホント苦労するよ

 

日本がグローバル化を目指すなら

まずこういうところを改めるべき

 

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