あ~あ
外食が恋しいなぁ...
とにかく気の利いた店は自粛しちゃって
開いているところと言えば近所の行きつけのみ
だもんで、昨日はタコパーでした
追い油で銀だこ風にしたつもりが
結構遠かったですwwww
試食のじゃがバター塩辛添え
うちのコンセプトが北海道郷土料理なのですが
妻(どさん子)にいわせると小芋に塩辛らしい
ウチは炭火🔥がないので今回は豚丼風で
味は決まってんだけどねぇ
そんで先日妻は3月末で飲食店を
実質失業したわけですが
今大盛況のスーパーで社員登用されました
まぁもともスーパー勤務長いので
即戦力ということで
店長推しもあったようです
それで社員となると色々と手続き関係が面倒で
初出社(研修日)が5月5日🎏らしいです
よって実質一か月のバケーションとなります
すげーうらやましい!(ぼくの心の声)
妻は替われるならぼくと入れ替わりたい
と暇を持て余しています
ぼくはお金と時間どちらを取るかと言ったら
間違いなく時間なので
現状人に縛られている人生では
圧倒的に時間が足りません
世の中の多くの人がお金に比重を置きますが
お金というモノは負債であると
中野剛志氏も言っています
彼はわかりやすく説明をしていますが
最初は何かと交換するために使っていたモノが
例えば自分が春にイチゴ🍓を摘んで
秋に秋刀魚🐟が欲しいときに使う場合
秋刀魚は秋にならないと穫れないわけです
ですので今は摘んだイチゴを秋刀魚と
換えられないので借用書を書いてもらい
秋になったら借用書で秋刀魚と換えてもらう
ようにしたらしいです
このような仕組みのなかで
いわゆる借用書に当たるものがお金のルーツ
載せているとのこと
ぼくは、もともと子供の頃は民青の幹部
だった父のおかげで家が貧しかった
らしいのですが
子供がそんな大人の決めた
価値に反応するわけでもなく
ある程度の歳になったころは実家が会社経営を
していたので、貧乏経験をしたことがありません
おそらく今ぼくはヒエラルキーの
底辺と呼ばれる層だと思うのですが
底辺層は年収200万以下と聞くと
「底辺じゃないなぁ」とも思います
ですから、お金に対しあまり執着がなく
お金と時間のどっちが大事かというとやっぱり
時間になってしまうのです
今の日本で日本国民で有る限り
自分が望まなければ
屋根付き食ありの生活は普通に出来ます
それ以上の何を望むのでしょうか?
結局お金が有ってもそれ以上欲しくなり際限が
ありません
時間は本当に有限です
そこに気が付き本当に有意義に
毎日を使って欲しいのです
一か月のバケーションや
コロナの自粛活動で
やることないと言っている人は
お金は有難がるくせに、貴重な
時間に対しては浪費することに対し
感覚がマヒしている人です
そんな自分を危険だなと思ってください