遡ること80年代
輸出し米国経済を脅かしていました
当然アメリカは日本へ市場開放を要求
要するにもっとアメリカ製品を買いなさい
と圧力をかけたわけです
アメリカは民営化を要求しました
そして1982年中曽根内閣によって
民営化が本格化します
民営化し通信市場の開放に努めます
通信市場の開放には新規参入による
コンペジターが必要となります
電電公社に対抗する新電電は莫大なコストが
かかるためにみな及び腰となりました
競争相手を探してくれと頼まれ
当時勢いのあったセコムの飯田氏と京セラの
稲盛氏に声をかけたわけです
京セラの創業者稲盛さんは言わずと知れた
名経営者ですが27歳で京セラを立ち上げ
1兆円企業にまで育て上げました
そして当時の公社に似つかわしくない千本氏
を引き抜くのですが彼はこう言い切ります
「日本の通信事業は必然的に自由化される」
こんなことを言う人は役員クラスでは稀で
大半の電電公社役員は保守的な発想でした
「もし自由化で電電公社の体力が落ちれば
通信は国際競争で勝てなくなる」と反対でした
稲盛氏は千本氏にこう訊ねました
「電電公社に新規参入の会社が勝つには
どうしたらいいのでしょうか?」
千本氏は市内通話は儲からないので
やるなら長距離ですと言います
でも新規参入者にいきなり全国は無理なので
狙うなら通信量が多い東・名・阪の3か所
ここに光ファイバーを敷き法人需要を盗る
という案を聴いた稲盛氏は参入を決めます
としてのスタートがはじまります
稲盛氏が通信事業に乗り出したのは独占してる
電電公社への義憤からです
そして稲盛氏よりももっと先を見据えていた
のがリクルート事件で逮捕された江副氏です
彼の頭の中では自由化による通信コストの
低下がやがて文字や画像も送れるようになる
そして日本中に張られた電話線はPCに繋がる
彼は1963年の渡米時に見たIBMの秀逸さ
を目の当たりにし68年にはIBM機を本格導入
ぼくの生まれた60年代後半はようやく家庭に
カラーテレビが行きわたり始めたころです
そんな時代に江副氏はコンピュータを使えない
企業は滅ぶと予言していました
ネットも無かったこの時代にコンピュータを
計算機でなく次世代メディアと捉えることで
稲盛氏が第二電電を立ち上げた頃江副氏は
コンピュータと通信網を結ぶ情報事業を
考えていました
その20年GAFAが生まれます
江副氏が不正に堕とされなければ日本が
情報産業の雄になっていたことでしょう
日本は本当に惜しい人材を棄損したのです